帰るまでが遠足、呼吸までが音

家に帰るまでが遠足と、口を酸っぱくして言われてきたけれど、最後はついつい気を抜いてしまう。

車内でバスガイドさんが流してくれた、残り1時間でぶった切られるドラえもんの映画の続きをぼんやり考えながら、スイッチオフで帰路につく。
そう言えば私はそんな小学生だった・・・。

今回の「響きのある声と読み」では、発声から自分の中心となる声を探すというものだったのだが、シンプルな授業ほど基礎力が試されると私は戦々兢々としていた。

いろはにほへと・・・といろは歌を一音ずつ発声していくのだが、どうしても真ん中あたりで音がユラユラしてしまう。
一行声を出し切ったぞ!と思って何も考えずに呼吸してしまったけれども、間や呼吸の位置も含めて音ということを教わり、途中に気を抜くポイントなどないことを知る。

「良い声」とは表現したいものを表現できる声。

普段生活している中では、無遠慮に叫びまくっているので良く通る声ですねと言われることが多いが、ことナレーションになると声量が弱くこもりがちに聞こえてしまう。
この違いは何だろうか、と考えていたのだがそれが何となく分かった。

他の人への指摘にもあったのだが、ためらいや心の中にある気持ちはすべて音に乗るのだという。
基礎部分の構築が必要なのは大前提として、上手く読もうという気持ちや、これで良いのかという迷いや、少しの緊張も交じってそれらが音に乗っているということだろう。
迷うということは自分のベストなコンディションをまだつかめていないということで、そのためには自分を良く知るべきだ。

今の自分ができることはどんなことなのか、目指すべき場所はどこなのか。

授業の時はあれこれ考えて、呼吸がー、口の形がー、声量がーなどと頭上にコマいっぱいの吹き出しが登場している状態で、思考は3歳児が暴れた部屋並みにとっ散らかっている。

まずはこの散らかった思考の海から抜け出して、手探りで自分の武器を見つけていくことだ。

以前、手探りで暗闇を歩いてコオロギを踏んづけた 
土曜コア 大島

感情ベースの表現から離れる

こんにちは、声ナレクラス、小津ミワです(^^)。
トビー上原さんの「朗読とナレーションの違い」のレッスンを受けての感想です。
様々な面で「朗読」と「TVナレーション」を比較した結果、元々声優や役者をしていた方であっても、演技的表現をベースにしたアプローチではない方がTVナレーションには向いている、という結論でした。最近私もそうではないかと思い始めて、感情ベースの表現から離れようとしていたところだったので、自分の中でははっきりと言語化できていなかったことを論理的に説明してもらえて、とても納得しました。

そもそもどうして朗読とナレーションを比較するのかなぁと少々不思議に思っていたのですが、役者・声優をされてきた大御所の方々の中には「ナレーションは朗読と同じ」という考えを持つ方がいらっしゃるようで(!)、そこを明確に区別・対比することでナレーションをより理解するため、そしてここで言うナレーションとは「TVナレーション」に限定するのが前提とのこと。私は「ナレーションと朗読は同じ」と思ったことは一度もなかったので、そんな暴論を振りかざす方もいるんだ…!と、ちょっと驚きました。まず朗読とナレーションの大きな違いとして説明していただいたのは、「朗読は”世界観を声で表現し完結する”が、TVナレーションは”あくまで映像がメインで、それを補完することが目的”である」こと。当然と言えば当然ですが、そもそもの目的が全く違う。それを一緒くたで語ろうとするなんて横暴なのでは…?とは、大きな声では言えないん…でしょうか(笑)

そして私がこのレッスンで一番印象に残ったのは「達成感とクオリティの乖離」についてです。自分では「いい感じでできた!」と思っても、実際聞いてみると全然満足いくものじゃなかったり、逆に全然ダメだったと思っても、周りからの評価はよかったり…。自己評価と他者からの評価が一致しないことは、皆さんご経験があるんじゃないかと思います。この乖離の理由は、「今日はやり切った!」と自分自身が感情的に満足している時ほど自分を客観的に見れていないことが多いから。「他人が聞いてちゃんと”そう聞こえる”」ことが大事で、それが本当に良い表現である。ただ、他人にどう聞こえているかは、やはり自分ではなかなか気付きにくいなと思いました。また、最初は感情をベースにしない表現に違和感があったとしても、そうした訓練を繰り返すことで、後から感情はついてくるようになる、「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい」は心理学的にも証明されているのでまずは行動することが大事、とのこと。ナレーションはテクニックの要素が多いので、演技的要素がなくでもできるという結論でした。

とても情報量が多くてまるで大学の講義のようでした。(そのため私の感想も長めです…><;)自分が気付き始めていたことを、ちゃんと理由をもって説明してもらえて私は大変満足しました!(トビーさんご自身の評価はわかりませんが…笑)アングラ表現で詩を読んだ時のパワーに圧倒されました!収録のためアフターをご一緒できなかったのが心残りです。トビーさん、本当にありがとうございました!

瞳を閉じて

カラオケで半音下を歌いがち。水曜コアの神林拓真です。

今回のレッスンは目黒さんの「響のある声と読み」
自分が最も良い声を出すためには響くポイントを知っている必要があります。
しかし、母音や子音によって口や舌の位置が変わるように、ずっと同じ響きや音程を出しているようで微妙に差異が出てしまう。これが難しい。

今回のレッスンで最大の収穫は僕が高低のバランスを取るには所謂「平井堅が歌ってる時の手」をする必要がある事に気づきました。振り返るとコピー練習の時も無意識で高低を平井堅の手で調節していました。
自分の音に集中しようとヘッドフォンに手を当てたら途端に響がブレブレになったのもそこが原因だと、レッスンも終わり間際に気付くという。更に瞳を閉じればより詳細に自分の音にのめり込めます。やっぱ平井堅はすげえや。
自分の癖を知っていること、改善・対抗策を理解しているだけで精神的余裕もまるで変わります。泥沼にはまらないためにはまず自己理解から!
彼を知り己を知れば百戦殆うからず
ナレーションはつくづく自分との闘いだなぁ。

応援ありがとうございました!神林拓真の次回作にご期待ください。

響け高音、閉じろ声帯

絶賛、堕天使爆誕かつ量産中の土曜コア近藤真央です。ちょっと何言ってるかわからないって方は山上さんのテキストをご参照ください。

今回は目黒さんのレッスン。このレッスンの目的は自分の中の一番良い響きを見つけること。と言われ「あれ?私毎回のレッスンに目的を持って取り組めてたかな?」と反省。意図を持って取り組みたいものです。

さて、私は以前の仕事で「ニワトリが首を締められたみたいな声だね」と言われ、バーズにきてから声の改造計画中です。そしてボイトレを受けてニワトリを喉から助け出したところです。 ですが、まだ自分の声を探し出せておらず、ニワトリに代わるものもまだ埋まってないため、声帯ガバガバなうです。

ということで、そもそもの声ができていないため、私はまずは声帯を締めて慣らしていくこと。あとは高い位置から音を出しはじめる癖がまだ手放せていないので、深い位置からはじめるようにすること、とアドバイスいただきました。

そして自宅練習する中で、高い声だとなかなか響きにくい、響かせにくいなぁと感じていました。それを解消するには低い音や自分の響きやすい位置で響きが出るようになると、高いところでも響きやすくなるとのことなので、まずは響きやすいところから。私はやっぱり低いところからやってみます。

今回の眼からウロコ名言は「呼吸も文章の中のひとつ。呼吸も、間も、音だよ」良い呼吸、心がけていきたいものです。

以上、近藤真央でした!おおきに!

戦う姿も大切

しばらくアメコミ映画がお預けなので、ウルトラマンに浮気しているブランディングの柴田雄也です。

今回はブランディングの授業の一環で、堀場さんの収録現場に潜入しました。
番組はフジテレビにて毎週土曜日10時25分から放送の、『いただきハイジャンプ』

そこで感じられた点が、、スタジオ側のスタッフの方と堀場さんの間に、それぞれの仕事に対するリスペクトが感じられたこと。
そしてとても和やかに、見学している自分たちも気持ちよく感じる程、ナチュラルに収録が進んでいくことでした。
それと同時に、自分の中で何度も浮かんできたワードがあります。
それが、"立ち振る舞い"。
この"立ち振る舞い"、というワード、スクールバーズに通っていると、授業中、アフターバーズ問わず、何度も耳にする機会があるかと思います。
そしてそれだけ聞く機会が多いこのこの立ち振る舞いこそ、収録がスムーズに進んでいる大きい要因の一つであると、見学後に思いました。
へりくだりすぎたり、自信がなさすぎる態度は現場に不安を抱かせ、ナレーターへのリスペクトを失わせてしまいます。
逆に自信過剰になりすぎれば横柄になり、現場の信頼を失ってしまう。
学びの場では技術にどうしても目が行きがちですが、この立ち振る舞いにより、技術を+にも-にもしてしまうからこそ、何度も耳にするんだなと改めて思いました。

堀場さん、改めてありがとうございました!

ウイルス フリー。 www.avast.com

語尾特化は「木」を見て森を見ることだった

こんばんは。コーヒーの中でもグアテマラが特にすきな、土曜コアの今村です。
先週になりますが、堀場さんの「語尾特化」の振り返りをば。
「語尾特化」ということで文字に着目すると語尾をどうしたらいいのよ……!と頭を悩ませそうですが、レッスンの最初に「実はカット終わりの頭や、文章終わった次の頭も大事なのでそれも忘れずに〜」ということもセットで教わりました。(ド頭MAX!!) そして今回の語尾特化についてですが、表現の幅として語尾は特に自由に遊べるということ。
以前のコピーレッスンでも体感した「他人の生理を自分に入れ込む」という体験がここでも。
まずは①原稿を自分の思うように読む(このときは語尾も自分が読みたい表現で。) ②堀場さんから指定された語尾の読み方で読む(これが普段の自分の選択にはない語尾の種類/上げる、下げる以外にもありまして…)
こうして自分の生理にない語尾の種類をやるときに必要になってくるのが「どれだけ他人の生理を知ってるか、の『引き出し』いくつ持ってますか?問題」です。はい、直面〜( ´ ▽ ` )笑 そしてですね、これがピンとくると懐かしの進◯ゼミの無料冊子マンガのごとく「わかるぞ、わかるぞ〜!!」となるわけですね。 リズムや切るところ、など読み全体に関わるものが語尾の選択によっても関係してくることが同時に現れてきました。

さて、わたしは②の表現の時に2回読ませてもらったんですが、2回目の読みの時に「読みは成立してますが、その読みはマネージャー陣に刺さると思いますか?」と笑顔で堀場さん( ˊᵕˋ )ズシン。

今回の語尾特化は「木」を見る作業のようですが、引いてみると「森」に直結する話でもありました。ピンポイントで語尾だけを考えるのではなく、そこから見えてくる全体像。原稿全体でどうするか?ということも必要ですよね。 やっぱりコピーなんだなぁ…知らなきゃ表現の幅も広がらない。とコピーの大事さを今回も考える機会になりました。
自分にないものは他人から学んで盗む!それを自分のものにする。提案を一つでも多くできるナレーターになりたいと思いました。
堀場さん、今回もありがとうございました٩( ‘ω’ )و

戦いとは、常に二手三手先を読んで行うものだ

ハイサイ!
沖縄出身のてぃーだ(太陽)の子、與那原伊織(よなはらいおり)です!

ブランディングクラスのレッスンの1つ
「スタジオ見学」に行って参りました。
ナレーターは「堀場亮佑」さん。

記事のタイトルは、かの有名な一年戦争を戦い抜いた男、シャア・アズナブル少佐の名言から引用です。
堀場さんはまさにこれを実感させてくれるナレーションを見せてくれました。

ナレーションそのものと言うよりは、「在り方」と言い換えてもいいかもしれません。

MA室で収録を見ていると、番組スタッフの方たちから、堀場さんへの確かなリスペクトの空気を感じます。
信頼してナレーションを任せているのを雰囲気で感じます。
そしてそれに応える堀場さんの読み。
まさにプロフェッショナルの現場です。

このような空気だからこそ、自分の読みや持ち味をのびのび発揮できるのだと、肌で感じました。
それを可能にしているのは、やはり現場での在り方。

不思議なもので、同じ読みでも現場でどう在るか、ナレーターがどう見られているかで評価が変わってきます。

わざわざ横柄な態度をとったり、自分を不必要に大きく見せる必要はありませんが、
あまりにへりくだりすぎて下に下にと自分を置くと、スタッフからの信頼は失われ、ナレーターとして戦場に立ち続けることは出来ないでしょう。
勝ち続けるための場作りをする立ち振舞い、それを実現するために二手三手先を読んで現場に臨むこと(特に初現場)。

とても大事なことを学んだ1日でした。
堀場さん、ありがとうございました!