苦手イメージの払拭

気温30℃越えたらテンション下がる水曜コアの神林拓真です。

今回のレッスンはよしいさんの「報道の色付け」
よしいさんの報道レッスンも今回で最後、4種類の中から2つの原稿を選ぶということで重すぎないニュースと明るめな特集、得意なジャンルをプレイしました。思い返せばスクールに通う前は自分は報道が苦手どころか1ミリもできると思わず自分が読む上で選択肢にも入ってないほどでしたが、今では苦手意識も薄れ原稿を渡されてすぐに、この原稿なら勝負できるかなと考えられるまでになったのは大きな進歩。自分で苦手だな~と思っていてはプレイも凝り固まってしまうもの。これもレッスンで「報道は固くしっかり読む」というイメージを払拭できたからこそです。

上達の要因はなによりもテレワークの影響が大きいかなと。これまで報道や情報番組の時間帯は基本的に出社していた僕にとってテレビを流しっぱなしでリアルタイムで研究・練習できる環境になったことで自分の読みのスタイルを掴むことができました。こんなご時世ですがなにが功を奏すかわからないもの。常に前向きでありたい!

応援ありがとうございました!神林拓真の次回作にご期待ください。

考えている暇はない!怒涛のVO千本ノック

こんにちは、声ナレクラス、小津ミワです(^^)。
今回は狭川さんの「怒涛のVO」でした。本当に、怒涛でした。自分の中にある声のバリエーションでとにかくあてる!違う声でしゃべる!時間がある限りしゃべる!という、VO千本ノック。原稿は前回のレッスンでもらっていたので、自宅で事前に練習していたのですが、実際に映像を見てみると、しゃべるスピードや周りの音、その人の見た目など、いろんな要素に惑わされて、しゃべる瞬間に自分の気持ちがぶれそうになります。文章の内容を把握することは大事ですが、どんな人となりかを想像しておくことはあまり意味がないなと思いました。やはり、必要なのは瞬発力。そもそも、原稿を事前にもらえることなどほとんどなく、映像も初見が当たり前の現場。このテンポで打ち返すことが求められるのだと実感しました。

課題も多めに用意されていたので、ほぼ全員初見であてるレッスンができました。一度映像を見たらなんとかなるかな…とも思ったのですが、難しかったのは「映像とセリフの尺を合わせる」こと。そんなに合わないことがあるのか…!と思うくらい…足りないんです、文字が!前の方がそれでハマっているのを見ていたので「このフレーズは尺長め」と注意書きしていたにも関わらず、まだ合わない。自分のセリフが終わってもまだ映像の人はしゃべり続けている。アテレコを経験していると、映像の中の人がしゃべっている間はどうしても自分も何かしゃべらないといけないんじゃないかという強迫観念にかられてしまい、与えられた文字を早々に消費してしまうのが癖のようです…。原稿が長くて尺に収まらない場合セリフをカットすることはありますが、じゃあ足りないから文字を追加してもらえばいい、ということにはならないそうで、特にVOの場合、作家さんがちゃんと内容を考えて英訳を書いているので、安易に追加して意味や内容が変わってしまうと問題になるため、難しいとのこと。…な、なるほど!ここでバシッと合わせてこそ、重宝されるナレーターになれるのだな><;と思いながらも、足りないものを埋めるのはやはり難しい。ポイントとしては、セリフの途中でかなり間が空いても映像としてはそれほど違和感はないので、思い切って途中で間を取りお尻を合わせること。VOで優先すべきは、間を埋めることではなく終わりを揃えることなんですね。

あともう一つ大きな特徴としては、原音を聞いてしまうこと。映像の中の人の原音を聴いてしまうと、なんとなくそれっぽい音を不意に出そうとしてしまうのが癖のようです。が!そんなことをしていては見た目と声質が似た人が連続で現れた瞬間に、詰みます。だからこそただただ機械的に演じ分ける。

何よりこのレッスンで一番思ったこと。家で練習しても、実際の現場では同じことはまずできない!!!誰も見てない状態でやって「結構いいんじゃない?」なんて悦に入っていても、現場ではその半分の力も出ないのが普通。緊張やら欲やら、いろんなものが滲み出る。思い通りにできない。しかし、それが実力(泣)。その現実を受け止めつつ、今日も一人こっそり練習します。「アイツはク●野郎よ!」と普段言えないセリフを、自宅で叫びます。だって、やらないと上手くならないんだから。

ナレーターとしての理想系を見た

初めて投稿いたします。ソムリエナレーター 寺内夏樹です。ブランディングクラスに在籍しております。

本日、ブランディングのレッスンの一環として「いただきハイジャンプ」のMA現場を見学させていただきました。ナレーターを務めるのは、ご存知、堀場亮佑さんです。

まず感服したのが収録のスピード。スタジオ入りからスタジオを後にするまでの時間がわずか1時間!原稿、映像、テロップ、すべて初見にもかかわらず、収録がスタートするや否や、ナレーションがことごとくピタッ、ピタッと当たり前のように求められた尺通りにはまっていく様は圧巻でした。

そして何よりも印象に残ったのが、常に自然体でいらっしゃる堀場さんの姿。原稿に入れ込みすぎることもなく、リラックスした心持ちでご自身の感覚にただ委ねるように読んでいらっしゃるのが、ガラスを隔てていてもしっかりと伝わってくるのです。時にディレクターさんから「別の表現でもう一回ください」と言われても、サラッと、ディレクターさん一発OKの的確な表現で返し、またある時は「ここ、尺が厳しそうなのでどこか削りましょう」と言われれば、瞬時に「こう変えたらどうですか?」と提案する鋭い反射神経。これも自然体だからこそ為せる業だと感じました。

「なぜそんなに自然体でいられるんですか?」と、MA終了後、堀場さんに直接問いかけてみました。すると、義村学長が常日頃おっしゃられている「ナレーションはテニス」という言葉を引用しながら、「こう打てば相手はこう返してくるだろう、とエリアを事前にある程度絞り込みつつ、想定外のところに飛んできてもそれを返せる準備もしているからではないでしょうか」と答えてくださいました。それを聞いて私の頭の中にパッと浮かんできたのが、ウィンブルドンでのロジャー・フェデラー選手のプレー。確かにフェデラー選手も常に力みが無く自然体。ナレーションもテニスも流麗なプレーは自然体から生まれるのだ!と合点がいきました。

今日MA現場で目の当たりにした堀場さんの自然体な姿は、私にとってのナレーターの理想系。一日でも早くその理想系に到達したい。そのために日々研鑽に励もうと改めて強く思う機会となりました。
このような貴重な機会を与えてくださった義村学長、堀場さん、そしてスクールバーズの皆様、本当にありがとうございました。

呼吸も間も音の1つ!

土曜コア都筑です。

今回は目黒先生の「響きのある声と読み」でした。

いろは歌を響かせながら前の後にかぶせるように発声していく。なーんだ、簡単じゃん!って一瞬でも思った過去の私を殴ってやりたいです。

普段ナレーションに出てくる癖が、いろは歌でも出てきました。どうしても声に力が入ってしまうので、普段の「おはようございます」の力の入れ方を意識して今後も家でやっていきたいです。

そして特に印象的だったのが
「呼吸も間も音の1つ」ということ。
本当にそうだなあって思います。

現場では、使えそうな呼吸音はあえて消さないそうです。
たしかに関西にいたころ、とあるMAさんが、
「全てのノイズを消すと人間が喋ってる感じが出せないんだよね」とおっしゃっていました!!

響いているってなんだろう?
常にこの問いを投げかけながら、過ごしていきます。

自分の強みを生かした響きのある声、見つけるぞ〜〜!

目黒先生、ありがとうございました!。

帰るまでが遠足、呼吸までが音

家に帰るまでが遠足と、口を酸っぱくして言われてきたけれど、最後はついつい気を抜いてしまう。

車内でバスガイドさんが流してくれた、残り1時間でぶった切られるドラえもんの映画の続きをぼんやり考えながら、スイッチオフで帰路につく。
そう言えば私はそんな小学生だった・・・。

今回の「響きのある声と読み」では、発声から自分の中心となる声を探すというものだったのだが、シンプルな授業ほど基礎力が試されると私は戦々兢々としていた。

いろはにほへと・・・といろは歌を一音ずつ発声していくのだが、どうしても真ん中あたりで音がユラユラしてしまう。
一行声を出し切ったぞ!と思って何も考えずに呼吸してしまったけれども、間や呼吸の位置も含めて音ということを教わり、途中に気を抜くポイントなどないことを知る。

「良い声」とは表現したいものを表現できる声。

普段生活している中では、無遠慮に叫びまくっているので良く通る声ですねと言われることが多いが、ことナレーションになると声量が弱くこもりがちに聞こえてしまう。
この違いは何だろうか、と考えていたのだがそれが何となく分かった。

他の人への指摘にもあったのだが、ためらいや心の中にある気持ちはすべて音に乗るのだという。
基礎部分の構築が必要なのは大前提として、上手く読もうという気持ちや、これで良いのかという迷いや、少しの緊張も交じってそれらが音に乗っているということだろう。
迷うということは自分のベストなコンディションをまだつかめていないということで、そのためには自分を良く知るべきだ。

今の自分ができることはどんなことなのか、目指すべき場所はどこなのか。

授業の時はあれこれ考えて、呼吸がー、口の形がー、声量がーなどと頭上にコマいっぱいの吹き出しが登場している状態で、思考は3歳児が暴れた部屋並みにとっ散らかっている。

まずはこの散らかった思考の海から抜け出して、手探りで自分の武器を見つけていくことだ。

以前、手探りで暗闇を歩いてコオロギを踏んづけた 
土曜コア 大島

感情ベースの表現から離れる

こんにちは、声ナレクラス、小津ミワです(^^)。
トビー上原さんの「朗読とナレーションの違い」のレッスンを受けての感想です。
様々な面で「朗読」と「TVナレーション」を比較した結果、元々声優や役者をしていた方であっても、演技的表現をベースにしたアプローチではない方がTVナレーションには向いている、という結論でした。最近私もそうではないかと思い始めて、感情ベースの表現から離れようとしていたところだったので、自分の中でははっきりと言語化できていなかったことを論理的に説明してもらえて、とても納得しました。

そもそもどうして朗読とナレーションを比較するのかなぁと少々不思議に思っていたのですが、役者・声優をされてきた大御所の方々の中には「ナレーションは朗読と同じ」という考えを持つ方がいらっしゃるようで(!)、そこを明確に区別・対比することでナレーションをより理解するため、そしてここで言うナレーションとは「TVナレーション」に限定するのが前提とのこと。私は「ナレーションと朗読は同じ」と思ったことは一度もなかったので、そんな暴論を振りかざす方もいるんだ…!と、ちょっと驚きました。まず朗読とナレーションの大きな違いとして説明していただいたのは、「朗読は”世界観を声で表現し完結する”が、TVナレーションは”あくまで映像がメインで、それを補完することが目的”である」こと。当然と言えば当然ですが、そもそもの目的が全く違う。それを一緒くたで語ろうとするなんて横暴なのでは…?とは、大きな声では言えないん…でしょうか(笑)

そして私がこのレッスンで一番印象に残ったのは「達成感とクオリティの乖離」についてです。自分では「いい感じでできた!」と思っても、実際聞いてみると全然満足いくものじゃなかったり、逆に全然ダメだったと思っても、周りからの評価はよかったり…。自己評価と他者からの評価が一致しないことは、皆さんご経験があるんじゃないかと思います。この乖離の理由は、「今日はやり切った!」と自分自身が感情的に満足している時ほど自分を客観的に見れていないことが多いから。「他人が聞いてちゃんと”そう聞こえる”」ことが大事で、それが本当に良い表現である。ただ、他人にどう聞こえているかは、やはり自分ではなかなか気付きにくいなと思いました。また、最初は感情をベースにしない表現に違和感があったとしても、そうした訓練を繰り返すことで、後から感情はついてくるようになる、「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい」は心理学的にも証明されているのでまずは行動することが大事、とのこと。ナレーションはテクニックの要素が多いので、演技的要素がなくでもできるという結論でした。

とても情報量が多くてまるで大学の講義のようでした。(そのため私の感想も長めです…><;)自分が気付き始めていたことを、ちゃんと理由をもって説明してもらえて私は大変満足しました!(トビーさんご自身の評価はわかりませんが…笑)アングラ表現で詩を読んだ時のパワーに圧倒されました!収録のためアフターをご一緒できなかったのが心残りです。トビーさん、本当にありがとうございました!

瞳を閉じて

カラオケで半音下を歌いがち。水曜コアの神林拓真です。

今回のレッスンは目黒さんの「響のある声と読み」
自分が最も良い声を出すためには響くポイントを知っている必要があります。
しかし、母音や子音によって口や舌の位置が変わるように、ずっと同じ響きや音程を出しているようで微妙に差異が出てしまう。これが難しい。

今回のレッスンで最大の収穫は僕が高低のバランスを取るには所謂「平井堅が歌ってる時の手」をする必要がある事に気づきました。振り返るとコピー練習の時も無意識で高低を平井堅の手で調節していました。
自分の音に集中しようとヘッドフォンに手を当てたら途端に響がブレブレになったのもそこが原因だと、レッスンも終わり間際に気付くという。更に瞳を閉じればより詳細に自分の音にのめり込めます。やっぱ平井堅はすげえや。
自分の癖を知っていること、改善・対抗策を理解しているだけで精神的余裕もまるで変わります。泥沼にはまらないためにはまず自己理解から!
彼を知り己を知れば百戦殆うからず
ナレーションはつくづく自分との闘いだなぁ。

応援ありがとうございました!神林拓真の次回作にご期待ください。