【何もしない表現】逸見さん「フラット&ウィスパー」

水曜モードの復学Mです。
先日は逸見さんの「フラット&ウィスパー」の授業でした。
実際にスタジオマイクを使って、ウィスパーを実践してみると、どんなことになるか?の実験、というもの。

とにかく、繊細な世界でした。
私の場合、息を出そう、出そう、とすると、力が入った感じになってしまう。
逸見さんから「もう少し何もない感じで読んでみましょうか」「今の(真ん中のフレーズ)くらいの力の抜け具合で全体的に読めますか」「ではわざと色々盛って読むとどうなりますか」「では逆に、何もない、能面みたいな顔で読むとどうなりますか」次々と繰り出されるディレクションに、頭フル回転で対応することに精一杯。でも、その都度録音を聞かせていただけて、少し客観視もできて…この「ウィスパー」という表現は、ほんの少しの(表現の)違いで、大きな違いになることを体感しました。

体を緩めて、響きの良いところで、『何もしない表現』で、人の心に届ける。

やりすぎてしまう(表現しようとしすぎてしまう)と『ダサい』表現になってしまう、まさに『今っぽさ』『トレンド』を感じる表現。そこには絶妙なセンスも必要。

『フラット』という『立ち位置』(ナレーションへの感情の乗せ方の問題)、まだまだ理解しきれていませんが、とても勉強になりました。その立ち位置、更に研究します。