声は添えるだけ。

時間が空きましたが、5/31の墨屋先生「フラットストレート」を振り返りたいと思います。
ナレーションとは何ぞや?と思い続けてきた自分にとって、光を見たような感覚が得られました。まだうまく落とし込めていませんが、ここで一つ文章化したい思います。

まず日本語の基本は「あ」にあり、ということで「あ」から始まる文章を皆読んでいきます。
そしてナチュラルボイスの発声はあくびにあり、ということで、落とした声を練習していき、再度文章読みへ。すると、文章がより素直に耳に入ってきます。
最初に読んだ時はどこか「よく聞かれよう」という意識があり作為のある読みになっていましたが、ナチュラルボイスを目指して読むと「読み方」への意識が薄らぐような感覚がありました。
温泉でぼふぁ〜♨︎となると、もうどうでもよくなる感じに近いのでしょうか…脱力状態→自然体→嘘がない→信じてもらえる、という好循環が生じるのですね。

そして、テレビは何万人もの人に情報届けるメディア。大衆は感情では動かされず、論理的でなければならない、との事。「よく聞かれよう」は論理的ではなく、どう見ても感情的ですね。それは要るわけがありません^^;

ナレーションは何の為に在るのか…少なくとも自分の為ではないので、「自分の為の作為」から脱却していくことが目下の目標となりました。

17期水曜コアクラス堀川輝幸