進歩はしていたんだと感じれた日@長州コンビナート(仮)

金Nクラス。残すところあと7回。その1回目。
 
畠山先生のレッスン。映像に合わせ原稿を読む、というもの。
 
約10分の原稿を大きく3つに分け、1,2,3,のどれかを挙手で読む。チャンスは一人一回。
読みたい箇所が回ってくるまで待っていたというのもありましたが、以前と比べて気軽に手が挙げられなくなっていた自分がいました。これまで学んできた事でいっちょ前に「畏れ」がでてきたみたいです。いい緊張と悪い緊張。 
結果として、悪い緊張といい緊張が交互にきたかんじで、イメージ通りできたところと、出来なかったところが如実に現れました。
 
また、今回のレッスンで感じたのは「キューだし」があるってやりやすいな~と思いました。
これまではタイムコードを追いながら、原稿を見、読みながら映像とタイミングを合わせながら気持ちも準備して、と大忙しだったのが、キューだしがあると原稿に集中して映像に合うように気持ちを整え、それら準備をしてタイムコードを意識しながらあとは先生のキュー出しにパンッと反応するだけでよくなりました。
ただ、僕自身がこの準備・反応にまだうまく身体が対応出来ずで(ドゥーンですね(笑))、慣れの部分もありますが、まだまだだなと思いました。
やりながら、修正しながらであっという間に自分の番が終わりました。
先生からも「準備ができていない中で喋り始めたでしょう」とズバリ指摘が。
 
そして二つ目は、「作品を作る」とはこういう感じなのだなという事を学ぶ事ができました。
ディレクター側のキュー出しは、「キューを出した時」がこの作品の中で一番ベストなタイミング。「ここでっ」という思いの合図。
その思いにナレーターは映像への表現で応える。双方の気持ちがバチッと融合した瞬間はとても気持ちいい時間でした(合ったのだと、と思いたい(笑))。
 
原稿を読む前はここはこう読もう、ああ読もうと色々組み立てを考えていましたが、モニター前に移動して読む直前にはそれらはいい意味で全て忘れていました。忘れた、というのは完全にノープランになったという訳ではないのですが、あまり自分の作ったものに囚われ過ぎないようにしようとしました。それらを踏まえた上で、自分の中のものがでてくるだろうと。
「自分がこう読む」というカチカチなものではなく、どうしたら「この作品がリスナーに一番伝わるか・引き付けられるか」それだけを考えていました。
それが合ったり、合わなかったり。
余計な「雑念」が合わない回数を増やす。僕の場合は滑舌ですね(>_<;)   そして準備の大切さも改めて痛感しました。 モニターの前で読む前は問題なく読めていたのですが、 「磨き上げた~」という言葉、モニターの前で読んだ時、何故か「みがきあげた」と「きずきあげた」の両方が頭に浮かんで、あれっ!?どっちだったっけ??と迷ってしまい、「あっ遅れた!!」その動揺があとの文章にも影響を与えてしまい、立て直すまでの間、あからさまに文章がボロボロになってしまいました。   一手間、一手間事前に漢字にルビを振るだけで回避できたミスでした。悔しい。 原稿を読んだあとは畠山先生から厳しいダメ出しが。 そして有り難い事も言ってもらえました。嬉しかった~自分の耳ではなく、先生の、回りの耳がそう判断してくれたのです。 帰り道何度もガッツポーズをしながら帰りました(笑) まだまだ山頂は遥か先ですが、少しずつでも「足」はちゃんと進んでいた。やみくもにではなく進歩していた!! 密度の濃い約3分間でした~(´ω`)

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