奥深い滑舌の授業

水曜コアクラスの北方です。

先週の松田先生の授業を振り返ります。

「声は人なり」。

松田先生の初めての授業は、本当にそれを実感できるような授業でした。

自分の本当の声や生の姿は直接見たり聞いたりはせず、全ては鏡越しや映像、機械を通して聴くことしか出来ないけれど、

本来ならば一番知りたいものなのではないでしょうか。

クラスの初期の時期にこの授業がある事はやっぱりちゃんと意味があるんですね。

一人一人の滑舌チェックでは、

センセイ→〇〇さんは、〇〇ですか?

(喋り方の特徴、骨格、発声の癖)

セイト→いや。。言われたことないし、

自分ではわかりません。

(初耳なんですケド。驚)

先生は上手さを求めては無かったし、ただ声を出し、調整をしつつ、一人一人が持っている楽器のメンテナンスをしているかのようでした。

他人に自分の身体の事を言われる事がほぼ無い中で、こうやって客観的に身体の特徴を伝えてもらえる事がどれだけ有り難い事か。

松田先生が何度も言ってくださった、

滑舌は自分をサポートしてくれる存在なんだというお話は忘れずに練習のモチベーションしたいです。

個人的には母音、長音については理解が深まりました。

帰り際に先生がポロっと仰った、「ナレーションはとてもうまいのになぜか仕事につながらないなぁという人は微妙に母音が甘く、ひっかかりがない」

というお話で

いかに母音が大事かという事が分かったので、

母音だけを発音する練習は必ず取り入れていきたいです。

明るい「ん」と暗い「ん」に関しては頭では理解したものの、声に出すとそこだけを頑張って直そうとしてしまい、おかしな喋りになってしまう、今までの癖が抜けない、などの課題があります。

これに関しては深くて個人的には苦戦しそうでした。

授業の前までは抑揚をつけてこそナレーションだと思っていたので、

抑揚(しゃくり)がないと自分らしさがなくなりそう、と、素人目線で感じてしまいました。更に今季からナチュラルボイスを更に力を入れていくとの事で、声低めを意識。

丸裸にされたような、誤魔化しのきかない、本当の意味で自分を試されるんだとひしひしと感じた授業となりました。

それこそ“コア”だという事なんだろうなと解釈しました。

とても勉強になりました。

松田先生、遅れましたが貴重な時間を有り難うございました。