ナレーター研究論。

水A茨キヨシロウです。
先月の授業のレポートなのですが、推敲を重ねているうちにタイミングを逸し…そのままになっていたのですが、投稿します。
ナレーター研究論でした。
授業中聞いた中でバチーン!と来たエピソードがありました。
とあるナレーターさんがとある報道番組に抜擢されたことが、その後の報道業界のこれまでの価値観を変えるムーブメントとなったと。
「これが(先週も学長が言っていた)『ボイサンは未来』ってことよ!」と。
この話を聞いたとき、胸がざわざわざわ〜っとして…つまり感動しました。
先週学長が言っていた『ボイサンは未来』という言葉が、更に胸の奥に入ってきたというか。
業界のこれまでの価値観を変えるムーブメント。これが第一線なんだと。
他にも様々なムーブメントの話を聞けました。
それまで力を入れていた路線ではなく、180度方向転換をしたボイサンが新たな読みの流行の先駆けとなったり。
はたまた、15年も前から(当時ではまだありえなかった)スタイルを変えず、むしろパワーアップさせながら磨き続けたスタイルが、今のトップを行く番組の色を作ることになったり…(この話を聞いたとき、ボイサンの可笑しさに涙しながら、感動の涙も混じっていました…15年も前から自分を信じてスタイルを変えないそのぶれないスピリット、先見の明、時代を読む力。すごすぎる…)
そんな話を聞いて、では私には、もしも業界の価値観を変えるほどの可能性が、僅か微かにでもあるとしたら、何が提示できるだろう?と知らず知らずのうちに考えていました。
もちろんムーブメントは良い作品、スタッフさんとの遭遇が欠かせないのでしょうが、
もしもそのチャンスに遭遇できるかもしれないときに、私はどんな提示ができるのか。
自分の可能性を耕して、『未来を提示』できるプレーヤーになりたい、と感じた授業でした。
…なぜこれを投稿できなかったんだろう?と考えていました。
それは、自分に自信が持てないからかもしれない。
書いたときはその時の興奮だけで書いたのです。でも読み返したとき、冷静になった自分は、自分に自信が持てず、なに大きなこと言ってるんだと思ったのです。
しかし、論点は「自分は変われるのか?」ではなく「変わるか変わらないか」なのだと言い聞かせ。やるのか、やらないのか。
プレイヤーはどんな人間か、だと思うので、低レベルな人間から、精神を鍛えるようがんばります。
前回の帰り道からずっと、『ナレーターのオーラ』について悶々と考えている、茨キヨシロウでした…。

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