高川先生「ハードドキュメント」授業を振り返って

暖かくなって花粉で視界がぼんやりし、「ああ春だな」と思ったのも束の間。翌日には小雪が舞うという季節の急ハンドル。
春はどこへ行ったのか……。
19期・秋モードの杉田です。

さて今回は、高川先生による「ハードドキュメント」の授業を振り返ってみたいと思います。

今回の授業では、事前にナレーションの入っていないドキュメンタリー映像をいただき、
「何度も見ておくこと」
という指示がありました。

何度も見て、考え、イメージを膨らませてから授業に臨む――
ドキュメンタリー作品と向き合うための準備です。

授業ではまず、高川先生からドキュメンタリーについての説明がありました。

ドキュメンタリー番組には、必ず作品としての主張やメッセージがあります。
・映像
・音
・取材した記者
・取材対象
などなど、それぞれが、それぞれの意見や立場を持っています。

そこには
賛成意見もあれば反対意見もあり、
対立もあれば、それを支える人や背景もある。

そうした様々な要素が集まり、ひとつのドキュメンタリー作品としての大きな主張が生まれる。

ナレーターは、
「番組が何を言いたいのか」を感じ取る。
そのうえで、自分のナレーションがこの作品にどう関わり、どう加担できるのかを探っていくのだそうです。

そのためにはまず、
映像や原稿という素材から自分が何を受け取るのか
そこからスタートする。

今回の授業は、まさに高川先生が実際に行っていらっしゃるアプローチを体験させていただく内容でした。

映像は事前に見てきましたが、原稿はもちろん当日渡し。

ここから授業が始まります。

まずは、生徒全員で順番に原稿を
「棒読み(素読み)」していきます。

この棒読みは、演劇の稽古で最初に行われる「素読み」と同じもの。

高川先生曰く、
・電話帳を読むように無機質に読む
・句読点も気にせず、
・ニュアンスもつけず、
・ただゆっくり、黙読を音にしていく。

その際に、
・映像と印象が違うところ
・つながりを感じたところ
・なんとなく気になったところ
など、自分のセンサーが反応した部分にチェックを入れていきます。

ゆっくり無機質に読むことで、ストレスや違和感が生まれてきます。
その「引っかかり」こそが、自分のセンサーが反応しているポイントなのだそうです。

この棒読みは、表現のための読みではありません。
インプットのための読み。

この番組のメッセージに対して、
・自分はどう関われるのか
・どんな立ち位置なのか
・どんな距離感なのか
それを探るための読みです。

事前に映像を見てテーマは整理してあります。
そこに原稿が加わることで、
「自分はどうアプローチできるのか」
という関係性を探っていきます。

実際、素読みを二度三度と繰り返していくと、
棒読みをしているにもかかわらず、変化が生まれる部分が出てきました。
これはとても不思議な体験でした。

棒読みを数回繰り返したあと、今度は
原稿を見ずに映像だけを見る。
高川先生はこれを
「映像と出会い直す」
とおっしゃっていました。

原稿を読んだあとで映像を見ると、最初に見たときとは受け取る情報や印象がまったく変わるのです。
同じ映像なのに、違う作品を見ているような感覚でした。

そして実際に、映像にナレーションをつけていきます。
しかし、やってみるとどうしても
「説明のナレーション」
になってしまう。

何かをやろうとしたり、単語を立てようとすると、途端に紹介や解説のナレーションになってしまうのです。

そこで改めて思い出すのが、今回のアプローチ。
・事前に整理したメッセージ
・素読みで引っかかった部分
・映像から感じた距離感や肌触り
それらをもとに、
「この作品にどう接するのか」
を感覚で受け取る。

最終的なパフォーマンスは、そこから自然に変わってくる。

高川先生は、非常に感覚的な内容を、
私たちに伝わるよう丁寧に言葉を探しながら説明してくださいました。

印象的だった言葉の一部を紹介します。
・言葉と向き合うと、言葉の働きは増えていく
・同じ部分を素読みしていると、心が動き関係性が生まれる
・技術に意識を向けすぎると雑念が出る
・映像→素読み→もう一度映像、で見え方が変わる
・アプローチが変わるとナレーションのニュアンスも変わる

先生からアドバイスをいただくと、クラス全員のナレーションが劇的に変化しました。

ドキュメンタリーでは、
「どうしゃべるか」
よりも
「何を伝えようとしているのか」
が重要。

今回のアプローチを通して、
・番組が伝えたいこと
・ナレーションの役割
・自分なら何ができるのか
というナレーターとしての意図を持つことができる。

そして、この「ナレーターの意図」があるからこそ、キャスティングされることも多いのだそうです。

俳優がドキュメンタリーのナレーターに起用されることが多いのも、この「意図」を強く打ち出せるからではないかとのことでした。

もう一つ印象的だった言葉があります。
ナレーターは楽器。
だから常にメンテナンスが必要。
・滑舌
・発声
そうした基本的な技術を鍛え、表現としてラッピングしていく。

しかし、
プレイ中はそれを忘れる。

メンテナンスしながらプレイはできない。
それは、野球をしながら筋トレするようなもの。
ナレーション中は完全に切り離すこと。

最後に
ナレーターとしての立ち位置や距離感は、一番説得力のある場所を選び
感じたものを信じて、映像とシンクロして声を出す。

そして収録では、
それらをいったん忘れ、初めて映像と原稿に出会った感覚でプレイする。

授業後も先生は私たちの質問に丁寧に答えてくださいました。

今回の授業はとても感覚的で、文章で伝えるのが本当に難しい内容でした。

それでも先生は、私たちに伝わるよう言葉を選びながら、何度も丁寧に説明してくださいました。

このブログだけでは全く伝えきれないのが、本当に残念です。

ナレーションは「どう読むか」ではなく「どう加担するか」。
その視点を忘れずに、これからも映像と向き合っていきたいと思います。

高川先生、貴重なご指導をありがとうございました!