CMセミナーを受けて

CMセミナーを受けて思ったことを書きます。
水曜ベーシックのあびこです。
「この時間は自分のためにある。忘れないように。」
私のCMセミナーは省吾先生のこんな言葉から始まりました。
現場を知らない私。話を聞きたくてアフターバーズに通いつめていた私にとって、作り手の立場が分かるというCMセミナーは願ったりのもの。
それでも今回は先生方も驚く程破壊力のある豪華受講メンバー。
声もろくに出ない私が参加して顰蹙ではないのか…腰のひけた私に先生が下さったのがこの言葉でした。
まず初回から驚かされたのは、やはり皆さんのスケールの違いでした。
まんまテレビから流れてくるような良い声のオンパレードは、音量も表現の幅も全てが振り切れるように想定外のところから降ってきます。
更に求められれば自分の売りも課題もキャッチコピーもサラッと出てくる自己分析力。
自分の声も見つからぬ私とはまさに月とスッポン。
これはお耳の勉強だな、と吐息まじりにひとりゴチる私に、出されたキーワードは思っていたのと少し違うものでした。
「もっと危なっかしいところで」
台本はある。つまりこれから言うことはもう分かっている。でもまるで今心に浮かんだ言葉であるかのように生々しくて血の通った言葉に。
懸命にお腹の中を探ります。イメージを浮かべて浮かべて、でも作り過ぎて形を追わないように。文字に引っ張られないよう本もはずす。
どこか私の中の、触れれば血の出るところ。
探すうちに思ったのです。私にはイメージが切れないように保つので精一杯。狙ったっていい声も表情も出ない。ならばこのセミナーの間だけは、相応しい音を探すのはやめてしまおう。音は後から録音で聞けばいい。
私はプレイ中に自分の声を聞くことをやめました。
そして腹に湧いたものだけを触ってやってみたとき、今までに無い解放感がありました。
結果どんな音が出ていたとしても、そこに嘘が無いことを、私だけは知っている。
ふと頭に浮かんだのはバーズの年賀状の言葉。「ナレーションて自由でいいんだ!」
歌もお芝居も、体の中が動いて訪れる言葉にならない瞬間を愛して夢中になったのではなかったか?
ナレーションだって同じなんだ…。
自分の中で”話すこと”がストンと居場所を持った瞬間でした。
録音を聞けばやはりまだ魅力のないプレイ。でも耳をすます以外に、私にもやることができたのでした。
そして省吾先生最後のレッスンの日、私は自分では選ばないようなテンションの高いCMを選びました。
声を張ればイメージが霧散するかも?
裏声に入ってしまうかも?
迷う理由は幾らでも見つかります。
順が巡り、先生が私に聞きます。「ではひとつだけ思ってやることは?」
…ビビらないこと。
腹が決まりました。
夢中の叫びの後…。
「いいんじゃない?というか相当いいよ」とニッコリの先生。
絶句も考える間もなし!
入学以来、君は苦労するよ、と言われ続けた私には初めてのことです。
声が出なくても、音が選べなくても表現はできる、していいんだ!!
バーズにいる私、がどこか赦されたような気がしてふにゃりと力が抜けました。。
あとひと月、足掻きは続いています。
相変わらず声はままならないし、油断すると腰もひける。
でも飛び込んでよかった。それもこの恐ろしくて有難いメンバーの中に飛び込んで。
周りの突き抜けた推進力が、ゆらぎがちな私をひっぱり上げてくれているから。
地を歩く私にも添って下さる先生方、ズレた質問にもまっすぐ答えて下さるクラスメイト、「手も足も出なくて置物みたいになっても、君は与え手なんだよ」と受講に背中を押して下さった山上先生にバンザイで感謝を込めて。
声がままならないのは私だけじゃないはず。それは長いおつきあいだけれど、ちょっと違ったスタートラインもあるという発見が伝わればと思って思い切って投稿します。
水B あびこ

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