恐ろしいものが人より少し多い、コアクラスの下牧です。
実は、この投稿も、前回は初めてで、「これで合ってるのかな?変なところに送られちゃったらどうしよう・・・。」と、ハラハラドキドキ、のどカラカラ、手汗びっちょりだったのですが、今回は少し恐ろしさが消えています。一歩前進。
前回、今さらながら、墨屋先生のもと、声の通り道の開通工事を始め、通った!と思ったら、ただの声枯れだったという悲しい勘違い報告をしたのですが、ついに先日、開通した模様です。(模様というのは、まだ時々、もとに戻りかけて、気づいてなかったりすることがあるからです。)これが声を出すということなんだ・・・という感覚。以前は口でしゃべってたなという感じです。
しかし、ここまで、なかなか一筋縄ではいきませんでした。
本来の自分の声は、呼吸の通り道を鍛えて、鍛えて、その結果、勝手に出てくるものだったわけなんですが、(ちょっと乱暴な言い方・・・)私はどうしても「開通した声って、こんな感じの声なんじゃないかな?」と勝手なイメージを思い浮かべてしまうのです。なので、せっかく通り道を鍛えて、体はその音を出そうとして、少し出かけたのに、自分の意識がそれを邪魔して、私が勝手に思い描いている声の方向へ持って行こうとしてしまうという、やっかいな現象に陥ったのです。
せっかく先生に教えて頂いて、呼吸の練習はできていても、私の変な思い込みでゴールにたどり着かないこともあるのだと知りました。しっかり練習すればできるようになると思っていた私には衝撃の出来事でした。
最後の方は、こういう声を出そうとか、少し出かけた音をどうやったら再現できるかとか、ああしてみようとか色々考えずに、とにかく体から湧き出てきた音を出してみよう、と思ったら、あ、こういうことか・・・。となり、たどり着いたようです。
今まで、声を出すには何かをしなくてはいけないと思い込んでいたんですが、何もしちゃいけなかったようなのです。
このことを、先生は途中に何回か説明して下さったのですが、その時の私には、何が悪いのかピンと来ておらず、今になってようやく理解できた次第です。
でも、こうして、以前はよくわからなかったけど、今ならわかる!ということを少しずつ、増やしていきたいと思います。
そして、ボイトレに限らず、ナレーションを学ぶ上でも、日常生活でも、思い込みの恐さがあるということを学びました。あ、また、恐いこと、増えてしまった・・・。でも、前進。